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私と競輪の思い出

私にとっての競輪は小さい頃から身近でありました。
それは私の生まれ育った土地は公営ギャンブルの競輪・オート・競艇・競馬の4種類が全て揃っているような場所であり、そのうち競輪は一番近かったのもあり、小さい頃から親に連れられて行っていました。

その競輪のルールはただ一着と二着を当てればいいくらいにしか知らなかったので、競輪場へ向かう車中で親から「今日は何番と何番の数字が来ると思う?」と聞かれるので決まって「一番と三番」と答えていました。
そんな安直な子どもの何の根拠もない数字を、親はその数字の車券を毎回律儀にも買ってくれていました。
競輪は早ければ第一レースから、遅くても最終レースまでには競輪場に行っていました。
私はその競輪場で必ず子どもがもらえる、近隣の児童遊園地の遊具の券が嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
何枚かためては連れて行ってもらいました。
その児童遊園地には小さな動物園も併設されていて、今でもその時の動物の匂いを思い出します。
当時は競輪場の施設だと勘違いしていた子どもの自分でしたが、それは市営の遊園地でした。
とても昭和の香りがして、遊具も古く、そして小さい子向けの遊園地で値段は安価。
そんな遊園地つきの競輪場がいつしか大好きになっていました。

しかし、長い時間のレースの間、親はレース予想と観戦に忙しく、話し相手にはなってもらえないので、私は予想屋小屋のおじちゃんと仲良しになっていました。
どのおじちゃんもみんな八百屋のおじさんのような声で最初は怖かったのですが、レースが始まると予想屋のおじさんたちもちょっとゆっくりしてるので、画面に夢中になりつつも私のような子どもの世話をしてくれました。
今でこそ競輪場は楽しいイベントや美味しい食事が目白押しですが、当時は決まった売店で決まったメニューがあってという時代。
それでも私は親に連れて行ってもらった競輪場の売店で買ってもらえる、アメリカンドッグがなによりの御馳走でした。
そのため親は、競輪場のアメリカンドッグが大好きな私に「アメリカンドッグ買ってやろうか?」というのが私を競輪場へ連れていくための誘い文句になっていました。
ほとんどが一般席での観戦だったので、親が車券を買いに行ってしまうと自分は席で待っているか、一緒について行かねばなりませんでしたが、時々特別観覧席(指定席)での観戦をする時がありました。
当時は何故今回は特観席なのかはわからなかったのですが、今思えばG1レースなどの特別レースだったのかもしれません。
私はその時の指定席券についてくる、無料のドリンク券が嬉しくてたまりませんでした。
私にとっての競輪はギャンブルではなく、特別な一日だったのかもしれません。

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