Menu Close

競輪を通じて働く人を見ていた幼少期

私が親についていって競輪を観に行っていたのは幼児から小学生くらいの頃でした。
幼いころは競輪場は遊びに行くところと思っていたのでレースのことなど全く興味もなかったのですが、小学生くらいになるとレースのルールなどを親に聞くことも増え、親と一緒にレースを観戦するようになりました。
うちの親の場合は競輪場でのレース観戦の後、その当日の夜に放映される「レースガイド」で更にそのレースを振り返るので、それも一緒に視ていました。

その当時小学生だった私は、競輪のレースの中で非常に疑問に思ったことがありました。
今となればなんてことはないことなんですが、その当時は何度親に質問して説明を受けても、どうしても理解が出来なかったことです。
まずレースがスタートして選手が出走しますが、その選手たちの前を一人の走者が走ります。
その走者にはゼッケンはありません。
選手たちを先導する先導車がレースを引っ張っていきます。
しかし、ラスト一周を前にジャン(鐘)が鳴ると、選手たちは一斉に先導車を抜き去って走り去って行ってしまいます。
当時小学生の私は、レースの行く末などはどうでもよかったのです。
肝心なのはあのレースのために一生懸命レースを作った先導車の人はどうなるんだろうということだったり、レースを終えた競輪選手たちは拍手喝采で花道を堂々と帰るのに、先導車の人は静かにバンクを去っていきます。
私はいつもその先導車の人に「おつかれさま」という気持ちと、「あの人はちゃんとお金もらえてるのかなぁ」などと子ども心に真剣に考えていたことを今でもよく憶えています。
あるときは、先導車の人に場内からヤジが飛んだりすると、「あの人だって一生懸命やってるじゃん。」と何故かヤジに反論している自分がいました。
また、この先導車に乗り人は毎レース出てくるので、小学生だった私は前レース、毎レースを同じ人が走っていると思い、「あの先導車の人はどの競輪選手よりもレースを走って、そして働いている。」と見事な勘違いをしていました。

これを親に話したところ、大笑いをされたのは言うまでもありません。
私は競輪の花形な有名選手がもてはやされるよりも、こうした縁の下の力持ちの人にばかり目がいっていた子どもだったのです。
でもこうした競輪を支える人達を見ながらの観戦が楽しくて仕方ありませんでした。
そのうち私は、レースの確定のアナウンスをする人に興味がいきました。
このお仕事はレース結果=お金がかかっていることをアナウンスするお仕事なのでとても重要なお仕事です。
でも毎回軽やかに「一着 ○番、二着 ○番、三着 ○番。続きまして払戻金額をお知らせします。
・・・・」というアナウンスに私はひそかに憧れを持ちました。
私にとって競輪場とは働く人を観に行く場所であったのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です